先日、時計仕掛けのオレンジを見ました。
ただの暴力映画だと酷評されているのもよく見かけますが、個人的には映画監督の主張も感じ取れて大満足の映画でした。
以下で考察していきますが、ネタバレも含まれてしまうので、まだ見ていない方は映画を先に見ることをオススメします。
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時計仕掛けのオレンジのストーリーを振り返る
この映画は「凶悪」であることよりも「善を強制する」こと、すなわち悪を選択する自由を奪うことのほうが、悪いことであると言う主張をしているように感じました。
まずは、ストーリーを振り返ってみましょう。
主人公アレックスは15歳の不良少年です。学校にも行かずに不良グループを結成し、悪の限りを尽くします。
ホームレスへの暴行・自宅への不法侵入・レイプ・殺人を何の悪気もなく行います。これらのシーンは目をふさぎたくなるほど過激に演出されています。
ところが、仲間達の裏切りに合って逮捕されてしまいます。14年の刑期を宣告され、刑務所内での生活が始まります。
聖書を読み模範囚をしていたアレックスは、「ルドヴィコ治療」の試験台に選ばれます。
これは新しい心理療法で、悪いことへの嫌悪感を強制的に植え付けるというものでした。
犯罪とベートーベンの第九を目の当たりにすると強制的に吐き気を覚えるというもので、この治療を受けて以来、アレックスは犯罪のシーンを見るととてつもない吐き気に見舞われるようになるのでした。
社会復帰後は、かつての被害者や・不良仲間に仕返しをされ、しまいには自殺未遂をしてしまいます。
命はかろうじて助かり、入院しているアレックスに批判を恐れた政府が近寄り、第九をプレゼントして映画は終わります。
作品が進むにつれてアレックスに感情移入してしまう
この作品を見ていて気づかされるのが、初めは凶悪な事をやりまくるアレックスに対して、怒りの感情がわきます。
そのために、アレックスが逮捕される瞬間は「ざまーみろ!」と思ってしまいます。
しかし、アレックスがルドヴィコ治療で目を開かれるシーンやかつての被害者から仕返しをされるにつれて、なんてかわいそう何だと段々と同情してしまうのです。
アレックスの内面は何も変わっていません。
内面は治療後も、心の中で「凶悪な行動」を求めています。
にもかかわらず、吐き気を催す治療のせいで悪い事ができないロボットと化してしまうのです。
最後のシーンはアレックスが昔のような悪い顔をして終わるのですが、そのシーンで僕は「ああ、昔のアレックスに戻ってくれた」と、なぜかホッとした感情になりました。
これがこの映画の非常にすごいところです。
初めはあんなにアレックスの行動に嫌悪感を感じていたのに、最後にはそのアレックスに戻って欲しいと願っている自分がいるんです。
これは僕が、「凶悪事件を起こす人間」よりも、「行動と感情を一致させる事ができないロボットのような人間」により嫌悪感を抱いたという事です。
まとめ:現代社会は時計仕掛けのオレンジを量産している
オレンジとは、「人間」という意味で使われているらしいですね。
つまり、時計仕掛けのオレンジとは「ロボットのような人間」という意味らしいです。
別に僕は凶悪犯罪を擁護するつもりは全くないですが、現代社会は多かれ少なかれ、「時計仕掛けのオレンジ」を量産しているように思います。
最近は、芸能人や政治家の不倫がすぐにスクープされ問題にされます。
教員が指導の一環として、生徒に手を出すとすぐに退職や謝罪に追い込まれます。
さらに多くの社会人は毎日会社の拘束され、まるでロボットのように決まり切った生活を強制されます。
アレックスほどの強暴性を持ち合わせている人間は稀だとは思いますが、多かれ少なかれ暴力的・非道徳的な感情を持つ事は人間として自然です。
それを過剰に抑制しようとする社会への批判を込めているのがこの映画趣旨ではないかと僕は思いました。
色々と考えさせられるので、みなさんもぜひ見てみてください!
今回は以上です。